受動態

Daniel Yangの読書日記

No.551 真田幸隆/江宮隆之 著 を読みました。

真田幸隆 (学研M文庫)

真田幸隆 (学研M文庫)

 
六文銭の家紋、赤備えの鎧兜、日の本一のつわもので名高い戦国武将=真田幸村(1567~1615)の祖父で、大名=真田家の実質的始祖である真田幸隆(1513~1574)の生涯を綴った歴史小説です。
山本勘助(1493~1561)に伴われて、甲斐府中の武田館で信玄(1521~1573)に出仕するシーンから始まります。
物語は、遡って海野平の戦い(1541)、さらに遡って、海野荘で過ごした少年の頃のイノシシ退治のエピソードなどが語られます。
その後は年代順に戸石城攻略(1551)川中島の合戦(1561)岩櫃城攻略(1565)と武田軍団、信濃先方衆としての大活躍が描かれます。

 

上記について
六文銭(ろくもんせん)じゃなくて、六連銭(むつれんせん)だろ?」
とか、
真田幸村(さなだゆきむら)じゃなくて、本当は真田信繁(さなだのぶしげ)だろ?」
と、ツッコミを入れるほどの戦国マニア、しかも真田びいきであれば、
さらに、この一冊は、涙が出るほど嬉しい一冊だと思います。
謎の多い真田家の初代「幸隆」を語るのですから、当然期待される出自。もちろん、詳しく描かれています。
真田マニアであれば、真田氏の本姓が清和天皇の流れをくむ滋野氏であること、滋野三家の筆頭である海野氏の分家であることは常識だと思います。
この小説では、真田家のルーツを正しく語り、諸説ある真田幸隆の出自についても、海野家からの流れを自然な形で説得力を持たせて読者に示しています。

 

他にも、祖父=海野棟綱(1492~1563)から学んだ地方勢力の生き残り戦略、孫子から学んだ兵法、山本勘助から学んだ築城術、自ら組織した忍者集団などを駆使し権謀術数を繰り広げ、手柄を立てる合戦シーンも読み応えがあります。
もちろん、常に作戦が意図したとおり進むわけでは無いのですが、戦局に臨機応変し、最終的には領土を確保。信玄の信頼を勝ち得て、息子(昌幸(1547~1611)、孫(信之(1566~1658)信繁)へと続く、伝説の発端編として、輝かしく幕を上げた感がありました。

以上は、amazonに投稿した書評を元に書き直したものです。

 

主に、海野史研究「郷土の歴史」を参考にして、さらにマニアックに続けます。
本書のハイライトは、海野氏滅亡となった海野平の戦いです。
真田幸隆」の読者を、ただ幸隆のみに興味があるのではなく、あらかじめ真田昌幸や、真田幸村のファン、あるいは武田びいきと想定し、武田家に仕えて以降の事は読み尽くしているであろうとの配慮が感じられます。そして、読みたくても読めないのが、武田家出仕以前の真田幸隆と言うわけです。
本書は、ハイライトを海野平の戦いに据えた事により、読者に奈良時代から続く滋野氏の嫡流海野氏と真田家に連続性を持たせており、それを繋ぐキーマンとしての「真田幸隆」の選択と決断の物語になっています。
さすがに六連銭の歴史が、平安時代末期の海野家の当主海野幸(1163~1183)まで遡ることについては記されていませんが。

 

海野氏の歴史にご興味が沸いた方は、上記海野史研究「郷土の歴史」および、小助官兵衛の部屋の★小助の部屋 ◇滋野一党の歴史 滋野一党トップページ 滋野一党武将から、海野氏海野幸広の項をご参照下さい。

六連銭

上記サイトでは、六連銭誕生のエピソードが披露されています。
曰く:後白河法王の平家討伐令を受けた木曽義仲(1154~1184)の侍大将として、瀬戸内海に出陣した海野幸広。渦潮を見て「吉祥なり」と陣幕六連銭をとした。
海中穏やかにして浪の紋渦巻きて銭連なるごとく見え、 これ吉祥なりとて、州浜紋なりしてを引替え陣幕を六連銭紋とする

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しかし、その瀬戸内の戦は平家方の圧勝。六連銭紋の陣幕で戦った(はず)の源氏方侍大将海野第九代当主幸広は戦死。
なんと、六連銭紋の幸先の悪いことか(T_T)/
銭が連なるように見えた渦潮の紋章を「吉祥」と見て取ったのは海野幸の勘違いであり、実は「三途の川の渡し賃」だったとすれば、辻褄が合いますが(笑)
このお話しは源平盛衰記に記されている「水島合戦」です。ただし、その合戦に臨んで、海野幸広が瀬戸内海の渦潮を見て六連銭紋を陣幕としたお話しは、小助さんのホームページ以外で確認できていません。(裏がとれません。)でも、面白いので引用しました(笑))
この幸先の悪い六連銭紋制定のエピソードが語られる事なく、
真田幸隆が、決死の覚悟で三途の川の渡し賃を家紋にしました。」
と語られるケースが多い理由がわかったような気がします。

 

2014年 1月25日
No.551