全13巻の徳間書店の『中国の思想』。一九六四年四月の刊行から三十二年を経て一九九六年三月に新装改訂増補された第三版の第一巻。韓非(中国B.C. 280 ~ 233)の著作「韓非子」全五十五編から、代表的な二十編をえらび、うち七編を全訳、他を抄訳したもの。副題「非情な人間支配の論理」。
なんと文庫になってました。
冒頭に解題として、時代背景(伝説~殷~春秋戦国時代)、諸子百家の解説、韓非の生い立ちから秦の始皇帝への仕官、思想としての韓非子の成り立ちなどを述べ、以降は、訳、および原文と読み下し文に簡潔な注と解説からなっています。
一冊で「韓非子」を読むならこれです。
以前から韓非子を読みたい。と思っていました。
また、解説であれば、以前読んだ、
で充分でした。
今回は
「一冊を熟読してみたい。」
と思っていたので、大型書店であれこれ悩みながら、この本を選びました。
選んで間違いはありませんでした。
頻繁に引用され、耳にする主用箇所は完訳されていますし、省略した箇所も明記されていて、おおよそ「読破した。」と思えました。
構成
解題「八、『韓非子』の構成」から抜粋、引用します。
『韓非子』五十五篇は、大きく二つに分類される。一つは自説を直接述べた論文体・問答体の文章、もう一つは説話類を編集したもの。
本書においては、
論文体・問答体の中から
「二柄」(1-7)
「備内」(1-17)
「孤憤」(1-11)
「説難」(1-13)
「五蠹」(4-49)
「亡徴」(1-15)
「和氏」(1-13)
「難」(一~四を抜粋して一つにまとめた。)(3-32 ~ 35)説話・寓話類の中から
カギ括弧後の数字は、僕が岩波文庫の目次と見比べて記した、岩波文庫の冊数と、韓非子全五十五篇の通し番号です。
「十過」(全訳)(1-10)
「説林」(上・下)(2-22, 23)
「内儲説」(上・下)(2-30, 31)
「外儲説」(左上・左下・右上・右下)(3-32 ~ 35)を抄訳した。
こうして整理してみると、本書の特徴「一冊で読める」に腐心されている事がうかがい知れます。
「二柄」「備内」の二篇によって、「法術」の真髄と韓非の冷徹した人間観を、次の「孤憤」「説難」で韓非自身の境遇と心境を知ることが出来る。次の「五蠹」は、韓非の全論点を総合した、『韓非子』五十五篇の総論的意味を持つ。
前半におおよそ韓非子の全体像を把握出来る篇を配置し、集中的に理解させ、
その後に、応用編を配置し、理解を補強出来る仕組みです。
民主主義の世の中では、庶民こそこれを読むべき
- 第二巻劉向編
- 『戦国策』・生存競争に勝ち抜く英知
- 第三巻性善説
- 『孟子』・功利と権謀を排す
- 第四巻性悪説
- 『荀子』・人の性は悪なり
- 第五巻博愛主義
- 『墨子』・平等無差別の人間愛
- 第六巻道教創案の中心人物
- 『老子・列子』・本当の自分とは
- 第七巻儒教の基本書籍である五経の筆頭
- 『易経』・運命打開の書
- 第八巻倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。
- 『管子』・いかに「政治力」を養うか
- 第九巻孔子の教え
- 『論語』・真の人間らしさとは
- 第十巻兵法書
- 『孫子・呉子』・人生に勝利する法則
- 第十一巻孔子編
- 『左伝』・人間模様の原型
- 第十二巻道教の始祖荘周著
- 『荘子』・無為自然に生きる
- 別巻
- 『中国の故事名言』・甦る珠玉のことば
中国の古典を網羅しているシリーズに於いて、第一巻として「韓非子」を配したことに意味があると思います。
本書の「解題」で、諸子百家のうち、儒家の一部がのちに漢(中国の統一王朝:B.C. 206 ~ A.D. 220)の武帝(劉徹・通B. C. 156 ~ B. C. 87;第七代皇帝:在位B. C. 141 ~ 87)により国定学問とされたことが紹介されています。
第九代宣帝(劉詢・次卿:B. C. 91 ~ B. C. 49;在位B. C. 73 ~ B. C. 49)は、息子(後の元帝劉奭:B. C. 74 ~ A. D. 33;在位B. C. 48 ~ B. C. 33)に対して、儒教に傾倒する事を戒め、皇室には覇道と王道を併せて用いる決まりがあることを教えています。(漢書・元帝紀2段「漢家自有制度,本以霸王道雜之」)
これは、漢が国を打ち立てる際に倒した前朝=秦(中国の統一王朝:B. C. 778 ~ B. C. 206)がおおっぴらに韓非子が説く政治を布き、民衆の不評を買い、早々に倒れた姿を反面教師として、
と考えていたように思えます。
そこで、(僕の読みが飛躍しているのかも知れませんが)民主主義の世の中となった現代では、主権を持つ我々庶民が「韓非子」を理解し、応用する術を身に付けるべきではないか。との配慮ではないかと思います。
また、サラリーマンが増えた現代に於いて、組織の中での人間関係に、韓非子が役に立つ、と言うよりは、知らないと危ういシーンが多々あると思います。
例えば、「二柄」”好悪を見せるな”で人材の登用を説いている箇所(以下僕の意訳)
「自分が、どんな部下を好むのか。どんな部下を嫌うのか。これを覚られるべきではない。なぜなら、部下は必ずしも上司や職務に忠実であろうとはせず、上司の好みにあった部下であることを装い、不正に出世をたくらむ者もいるからだ。そうなっては、本当に自分や職務に忠実な部下がいなくなってしまう。」
これは、そのまま人事権を持つ部長以上の役職を持っている人には、心得てもらいたいことです。
また、課長以下の下っ端は、人事権を持っている人がやたらに「俺は、ゴルフが趣味だ。」などと嗜好をあきらかにして、お追従を言う取り巻きを可愛く思っているような人なら、従うに値しない人物と見限るべきだからです。
例えば「内諸説 下」”門番のうらみ”
門番が、王に讒言して恨みがある上司を死罪にしてしまいます。
なぜ?組織のトップである、王がヒラの門番の讒言を聴いてしまうのか?
そのトリックは、上司が酔って門を出た後に、門に立ち小便の跡に見えるよう水をまいておいただけです。
王に聴かれても、あからさまに
「上司がしました。」
とは言わず、
「存じません。されど昨晩酔って帰宅される時、上司がここに立っていました。」
と報告する。
王は門番から直接告げ口をされたとは認識せず、自分で推理し、判断したものと思い込んで、門番の上司を斬罪にしてしまいます。
これは、下っ端に対して、王をコントロール術を説いているのではありません。
部下を持つ役職者に対して、
「中にはこのように巧妙なトリックを用いて、自分をコントロールしようとする悪者がいるものだ。」
と、報告を聴く時の心得を示しているのです。
僕は、実際に会社の中でこのトリックを使う人の話を聞いたことがあります。
製作会社に勤める友人が、ある日嘆いていた話しです。
俺と同じ部署の営業担当が、社長に気に入られいるんだよ。社長は、銀行周りから疲れて帰ってくると、ヤツの隣の空き机に座って、しばらくヤツと話をしてるさ。でも、一応仕事の話しをしているんだ。当たり前の話しだが、社長もあからさまなお追従を言うヤツと親しくするワケにはいかないだろうし、職場の中で趣味の話しをするワケにもいかないだろうから、丁度良い息抜きになるんだろう。ヤツは、他社が金のかかる企画を客に提案している事を持ち出して、「社長、ウチもこれぐらいやらないと。」と馴れ馴れしく言うんだよ。継いで自分が客に提案している企画も披露するから、社長は、「言うべき事を言う男だ。」と気に入られているんだ。
ある時、俺の顧客とヤツの顧客から同じ時期に提案しなきゃイケナイ企画が持ち上がってバッティングしたんだ。小さい会社だし、限られた予算でやっているから、担当同士で企画がバッティングすることは良くあることさ。同時期に出来る仕事は一つだけだ。この時は、製作部門に検討してもらって、俺の企画を優先してもらうことになったんだ。
しばらくして、社長がヤツの席の隣に腰を下ろしたときに、社長がヤツに聴いたんだ。「最近どうだ。」と。するとヤツ曰く「折角お客様からリクエストをもらったんだけど、製作部門が優先順位を落としてやってくれないんですよ。」と切り出した。目の前にいる俺は、「それは製作部門が企画を精査して、つけた優先順位ですよ。」と訂正したかったが、以前、社長とヤツの話に割り込んで、逆に「人の話を遮るな。」と説教されたことを思い出して、黙っていた。
社長はヤツに「だれが、そんな判断したんだ?」と聴いた。ここで正確な回答は「製作部門の判断です。他の企画との負荷、コスト、期待される成果を精査した結果です。」だ。が、もちろんヤツはそんなふうには答えない。ヤツの答えは、こうだ。「言えません。僕の口からは言えません。」
あたかも、精査をせずに、製作部門の誰かが、勝手な判断をして優先順位を落としたかのように答えた。社長は、その判断をするのが製作部門だと知っているので、「製作部長か?」と聴いた。ヤツは再び答えて曰く「いえ。僕からは言えません。」
「わかった。製作部長だな。俺が言ってきてやる。折角お客さんに提案できる機会をみすみす逃してどうするんだ。」と、言って社長は去っていった。
後日。俺の企画は後回しにされ、客に謝りに行くことになった。俺の企画が受注していたらヤツの2.5倍から3倍程度の利益があったはずだが、結局注文はとれなかった。ヤツは客にいい顔が出来て、注文もとれた。実績も出来た。次の年に彼は課長に昇進した。俺は、別会社に出向になった。
まぁ、ヤツのような嘘つきはどこにでもいるだろうけれど、ヤツを出世させたり、社長があんなヤツに操られているようじゃ先は長くないな。別会社に出向になってラッキーだったよ。
実際のところ彼の会社がどうなのか、僕は存じ上げません。でも、なんだか、嫌な会社ですね。
社長さんが韓非子を心得ていれば、会社の利益ももっと上がるのだろうし、社長本人の仕事のうち、銀行周りも楽になるだろうと思うのですが。
教養を装えます
頻繁に引用される故事成語のうち
「矛盾」
「逆鱗に触れる」
「待ちぼうけ(株を守る)」
は「韓非子」に記されている内容です。
それぞれ本書では、
”逆鱗”に触れるな;説難<ぜいなん>………進言のむずかしさ
まちぼうけ;五蠹<ごと>………五種類の害虫
矛盾;難<なん>………批判
に記されています。
特に「矛盾」については、面白く感じました。
読む前から、辻褄の合わないセールストークを例として示した事は知っていました。
何を突いても、貫く「槍(矛;ほこ)と、どんな槍で突かれても、貫くことが出来ない「盾」
です。
まあ、酒の席での雑学披露程度にしか役に立たないかも知れませんが
「教養があるな。」
と評判になるのでしたら、案外お値打ちものかも知れません。
これだけの内容が一冊で読めるのですから、お安いものです。是非お読み下さい。
そして、エライ人には、韓非子の術を心得て、僕の友だちのように、仕事にやる気が見いだせなくなるような人を少しでも減らして頂きたいと思います。
よろしくね。
2014年 1月13日
No.548