受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 546 昭和の犬/姫野カオルコを読みました。

昭和の犬 (幻冬舎文庫)

昭和の犬 (幻冬舎文庫)

 
著者にとって最初の直木賞候補となった「受難」
受難 (文春文庫)

受難 (文春文庫)

 
の実写映画
が2013年12月 7日に岩佐真悠子主演で劇場公開される、と発表されました。
その著者の最新作です。
二〇一〇年三月リリースの「リアル・シンデレラ」
リアル・シンデレラ (光文社文庫)

リアル・シンデレラ (光文社文庫)

 
以来、三年振りの長編小説です。
昭和三十年代。滋賀県の南部に生まれ育った柏木イクが主人公です。
 
彼女の半生を、日本で放映されたアメリカの連続テレビドラマのタイトルで八つに章立てした連作形式の小説です。
各章のタイトルのドラマが日本で放映された時代を描写しています。
最初の「ララミー牧場」は、一九六〇年からの放映。小説はイク五歳からのスタートです。
最後の「ブラザーズ&シスターズ」は、二〇〇六年からの放映。小説はイクが五十歳になる年で終わります。

 

長いシベリア抑留で精神を煩った父親は、たびたび癇癪を起こしてイクや母親に当たります。母親は、家庭運営や子育てをあきらめ、イクに嫌みを言いながら、ただ働きに出て、生きているだけの人です。
人間相手が出来ない父親は、しかしながら不思議と犬の扱いが上手です。
成長するイクと、その時々に近くにいた犬を伴奏にして物語が進みます。

 

主人公の特徴は、不幸な家庭環境を愚痴として口にしないところにあります。
それは、幼少の頃はそれを言葉に出来ないためです。
成長してからは、それが周囲に理解されづらい事を知ったためです。
大人になってからは、人にうったえたところで周囲を暗い気持ちにするだけで得るものが無いことを思い測っているからです。

 

どんな人でも、生きていれば面倒な事に対処しなければならないシーンに出くわします。また、思うようにならないことが多々あります。
面倒が鬱積した際に、癇癪を起こして周囲の取りなしを求める人がいます。
また、八つ当たりして責任転嫁=面倒を人に押しつける人もいます。
家族や近しい人に愚痴をこぼして聞いてもらうことで楽になる人もいます。
あるいは、協力して対処してくれる人が現れるかもしれません。

 

でも、愚痴をこぼしても信じてもらえず、癇癪を起こしたとしても取りなす隣人がおらず、責任を押しつける相手も見あたらない「面倒」があります。周囲に理解されない、難しい面倒を抱えている人がいます。
その人は、自分ひとりの力で面倒を解消しなければなりません。
うまく解消出来ない場合は、ただ日々を過ごすことに腐心します。あるいは、自分が年老いて、自然に死ぬことで、ようやくおしまいにすることが出来るのかもしれません。そこまで行けば周囲には平穏な一生を送ったようにように見えるでしょう。
柏木イクの物語は、孤独の中で絶望と共に面倒を抱えて過ごす半生と言えます。

 

ただ、この小説を読むと、孤独と絶望の中にあっても、世の中には自分が抱えた面倒を理解してくれる人がいる事に気付きます。
また、そのような人生を送ることで、物事の多面性を理解できるようになる、と気付きます。
つまり、この小説を読むことで、孤独から救われ、絶望の淵からはい上がることが出来ます。

 

僕は、この小説を読むまでは、自分の人生が失敗だったと断定していました。折角健康に生まれながら、また、充分な教育を授けてくれた両親に恵まれていながらも、
「残りの人生はせめて人に迷惑を掛けないように気をつけながら生きていこう。」
「可能な範囲で楽しく過ごす事が出来れば幸いだ。」
とあきらめていました。
でも僕は、この小説を読んで、失敗したように見える自分の前半生にも何かの意味があり、あるいはこの後にチャンスがあるかも知れないと思うようになりました。

 

つまり、僕はこの小説から希望を読み出したのです。

 

総ての人が、この小説を読んで希望を見いだすのかどうか。僕にはわかりません。
ただ、周囲に当たり散らして人に面倒を押しつけている人がいて、その人のように生きる事が出来ない、または、その人のようになってはイケナイと、うんざりしている人には、あるいは、僕と同じような効果が得られるかも知れないと思います。
少なくとも僕は救われたように感じました。

 

文学を
「語られずにいる、人の思いを言葉にするもの」
と定義するならば、この小説は文学そのものです。

 

そして、文学の効用が、
周囲を思い測る、優しい人にとっての救いとなり、
希望になる事だ、
と遅まきながら、ようやく理解しました。

 

味わい深い一冊です。

 

ちなみに、小説の主人公「イク」に関して、その卓抜した能力=不可解な人(+犬)の言動を理解する能力が、あるいは今後、世界を変えるような大活躍の機会を得るかも知れない。と僕は密かに考えています。
作中でわずかに触れられた秋山中将=秋山真之愛媛県松山市出身1968/ 4/12 ~ 1918/ 2/ 4海軍中将従四位勲二等旭日重光章は、日露戦争当時は中佐。第一艦隊の専任参謀で、日露戦争の作戦担当参謀として旗艦「三笠」に乗船していました。バロチック艦隊を殲滅する作戦を立案したのは秋山真之です。
彼の能力の源は、敵の思考を推察する能力なのだそうです(※)。人の気持ちになって考える能力です。”人の気持ちになって考える”というのは、隷属することではありません。敵を含めた他人を理解する能力です。刑事が、犯行現場の状況から犯人の動機を推察する能力でもあります。
(※)日経ビジネス電子版
の前身「日経ビジネスオンライン」の守屋淳([もりや・あつし]1965~)の連載「感情移入と大局観」2010/9/29~
第三回「感情移入と大局観」2011/5/11の記事。
作戦立案に於ける「感情移入」とは何か?日露戦争日本海海戦でバロチック艦隊を破るT字戦法を立案した秋山真之の神髄を解説していました。
イクの他人の情動を読む能力が、秋山中将に匹敵するかどうかはわかりませんが、卓越したものであると思われます。軍隊ならば参謀。企業の中にあっては、計画立案などの職に就くと案外大活躍するかも知れない。
と、空想しながら、僕は救われ、イクも救われたように感じ、この小説を読み終えました。

 

以上は、TRCブックポータルに投稿して、今週のイチ押し書評になったもの、および、、amazonに投稿した書評を元に書き直したものです。
2010年11月23日
No.546