受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 139 阿Q正伝/魯迅を読みました。

阿Q正伝 (角川文庫)

阿Q正伝 (角川文庫)

  • 作者:魯迅
  • 発売日: 2018/06/15
  • メディア: 文庫
 
魯迅(中国、本名:周(姓)樹人(名)豫才(字)1881/9/25 ~ 1936/10/19)の代表作を収録した短編集です。
狂人日記  故郷の幼馴染みが精神を病んでいた時に付けた日記。中国古典にしばしば登場する人肉食を批判し、悪習を改める事を訴える。  
魯迅の処女作です。訴えの内容は、おそらく人肉食に限らず「悪習を改める」事のヒントとして著者が選んだように思われます。末尾の「子供を救え……」は、旧体制に馴染んだ大人を再教育することは難しいけれども、新しい社会を担う子供にならば、(教育によって)その役割を期待することが出来る。と、言う政治的な指針を読み取りました。
孔乙己  一杯飲み屋の常連客孔乙己(クン・イーチー)の物語  
労働者向け立ち呑み酒屋の常連で唯一人役人階級出身である孔乙己は、出自が優れていようとも、酒好きで怠け者は身を滅ぼす。と言う教訓として読めました。
小さな事件  道に飛び出した老婆を認めて急停車した人力車の車夫。  
自ら車に当たったにも関わらず、「跳ねられた」と訴える老婆を立て、派出所に出頭した車夫。正直と正義とは異なるが、人を尊重する事を著者は学び取ったと言いたいのかも。
故郷  二十年以上前に出た故郷を訪ねて  
自然に根ざした村でのサバイバルを颯爽と語った幼馴染み閏土(ルントウ)との再会。長い年月の間に、故郷は寂れ、思い出の中ではスターだった閏土もしょぼくれていた。経済観念や政治思想を持たず、他力本願に偶像崇拝をする成長した閏土。高邁な政治思想を実現しようとしている主人公は、現実を目の当たりにして、彼の理想が、閏土らのような庶民の希望であってこそ実現できるのだと思い直したのだろうと思います。
阿Q正伝  住所不定無職の阿Qの半生  
阿Q[あきゅう]の半生です。「半生」と言っても、いつのころからか村にいて、農繁期には麦刈りを手伝い、船頭がいないときには船を漕ぎ、餅が足りなくなったら米を搗き、日々村の人々の駄賃で過ごす阿Qの半生です。
しかし、彼の半生の最後に辛亥革命が起こりました。日々の駄賃で過ごす阿Qの不幸は、妄想癖があり、文盲であったこと。また、頼まれれば何でもやる彼は革命の少々前に泥棒の手伝いで駄賃を稼いでいたことが村の人たちにばれていたことでした。
革命家が格好良く見えた彼は「俺も革命党だ」と言ってみたことが彼の半生の最後の失敗。革命に名を借りた、強盗の一味と見なされ見せしめに死罪を言い渡されます。読めない自白調書に署名させられ、打ち首です。
革命前夜には、村の分限者も革命党の一味のふりをしていたはずなのに……。
清朝から共和制に変わっても、人心は何ら変わらず、権力を持てば強盗を働き、弱者を見せしめとして殺す。そんな革命の実態を描いた政治的な小説でした。
家鴨の喜劇  北京での思い出。  
虫の音が聞こえないと嘆く、ロシア人教師を慰めるべく、主人公が購入したカエル……ではなくて、オタマジャクシは、しかし、彼が町人に推奨する牧畜=アヒルのヒヨコによって食べられてしまった。彼らが過ごした北京での風景でした。
孤独者  寒村出身の魏連殳(ウェイリェンシュー)  
インテリ階級が、それなりの職を得て生きていくことの難しさを語っているように感じられました。つてを頼って公職(学校の先生)を得ても、雑誌で批判され、退職を余儀なくされてしまうことの繰り返しは、名ばかりの共和制の実態である軍閥政治では、寄らば大樹の陰として生きていかねばならない当時のインテリ達の困難さを語っているように感じられました。プライドを捨て、軍閥を頼り、師団長の顧問となった連殳は豊かな生活を手に入れましたが、豊かな生活に、彼の平穏があったのでしょうか。
藤野先生  魯迅の仙台留学時代(※)(1904/9~1906/3 仙台医学専門学校)の思い出  
志半ばで医学をあきらめた魯迅でしたが、留学時代に外国人である彼に対し、熱心に指導した藤野先生。先生への感謝の気持ちが伝わって来ました。「先生」と言う職業の人が、教え子へ親に似た(時には親以上の)愛情を注ぐ、職業への誠実さを国境を越えて感じさせるものです。その恩返しは、教えを全うし、立派な職業に就くことだと思います。著者は、恩に感じていても、道を違え、それでも恩師への思いを綴らずにはいられない。その気持ちが僕にも感じられました。
(※)当時の時代背景を少々解説します。(と、言うよりは、僕の理解ですが)中国は清朝末期(~1912。清朝は、漢民族にとっては異民族(満洲族)の支配する王朝であり、辮髪の強制と、凌遅刑に代表される反抗分子の弾圧が象徴的ですが、そのほかはおおむね融和策をとって、長い繁栄を築き、ウィグルやモンゴルの一部、チベットなどを併合し、現在の領土を確定しました。)中国国内では日本とロシアが戦争中(1905年日本勝利)。少々遡って、日本は日清戦争に勝利し(1894年)不平等条約を改正し(1899年)、東アジアで先進国としての地位を確立しつつあり、中国やそのほかアジアの国から留学生を多く受け入れていました。魯迅は1902年、二十二歳にして、江南督練公所から日本に派遣留学し、東京の予備校を経て1904年、二十四歳から2年間仙台医学専門学校(後の東北大学医学部)で学び、中退、帰国します。
眉間尺  十六歳の誕生日前夜、父親の仇を討つ事を母に誓った少年  
古典に取材した古代王朝時代の仇討ち奇譚です。亡き父親が遺した不思議な剣を持ち、不思議な妖術使いに出会い、首だけとなって妖術使いとともに仇を討つ少年の執念と、妖術使いが操る煮えたぎる鼎の様子が面白く感じられました。

 

2008年9月20日

No.139